ほのぼの、のろけ自慢。(2)専業主婦。2003-11-22 私はいつも‘早く専業主婦になりたい’とわめいてはうちのだんなを困らせていた。家にいて、みどりの散歩へ行き、朝ご飯を作り、洗濯物をし、買い物へ行き、夕食をこしらえ、掃除機をかけ、一休みができるとミシンをかけたりクラフトをしたり。。。そんな事をいうと友達からは‘あんたなんて3ヶ月もしたら飽きた、って言ってすぐ仕事を探し始めるわよ。’と笑われるのだが、私は本当に家にいるのが好きなのだ。 さて、毎年恒例のクリスマスに、プレゼントを交換するのだが、今年はどうしようか、とだんなと話し合っていた時だった。だんなが‘そろそろ、仕事、辞めるか?’と聞いてきた。私は驚いて‘なんで?’と聞き返した。彼は‘クリスマスプレゼント、にならないかな、と思って。’急な話だったので私はただ呆然と彼の顔を眺めていた。 私の母はフルタイムの和文タイピストだった。高校だけは何としても卒業したい、と夜間学校へ通い、この仕事をずっと続けていた。だから私の小さい頃は祖母に身の回りの世話をしてもらっていたと言ってもよかったくらいだった。 祖母が亡くなってから、私は鍵っ子になった。元からあまり料理が好きではなかった母は仕事から帰ると、疲れきっていたから百貨店の地下にあるお惣菜を買ってくることが多かった。仕事で神経をすり減らしている上、彼女は肝臓を患っていた。私を産んだ時、輸血をしなければならないくらいの大出血をした際、感染したらしかった。だから顔色も悪く、いつも刺々しかった。 ずっと小さかった頃、学校のクラスで先生が大きくなったら何になりたいか、とみんなに聞いた。それぞれ夢ある生徒達は胸を張って手を上げていた。お医者さん、看護婦さん、保母さん、学校の先生。。。。。みんな未来に夢と希望を託していた。そうしている間、私は必死になって考えていた。なんだろう?何になりたいかな?どう答えよう。。。。ついに私に順番がまわってきた。先生が尋ねた。私はとっさに‘家にいるお母さんになりたい’と答えてしまった。クラスからどっと笑いがおこった。先生も苦笑いしながら‘そんなことは誰でもできる事だから、もうちょっと考えてみましょうね。’とおっしゃった。私の目から涙がポロポロでた。心の中で‘そんならどうしてうちの母ちゃんは家にいないの?’と尋ねかえしていた。 幼い頃、私はうちの家が中流家庭だ、と言い張っては家族を笑わせたことがあった。寝起きする場所がある、ご飯も食べれる、洋服もあるじゃないか、と私は思っていた。母が月の終わりに叔母にお金を借りなければ、私達が食べれないことなんて知らなかった。父のビジネスが失敗したがために多大な借金を支払わなければいけないから、父も母も黙々と働くことしかできないことなんて、理解することができなかった。中流家庭なんて、私達家族からは程遠いものだ、というのがどうしてわからないんだ、とよくバカにされたものだった。 近所のT子ちゃんのお父さんは大工でお母さんは家にいる。A子ちゃんはお父さんとお母さんとで薬局屋さんをしている。S子ちゃんはお風呂屋さんで家族が交代で番頭さんをしている。そんな友達の家に行くたび彼女達のお母さんが迎え入れてくれ、おやつを出してくれたりどこかへ連れて行ってくれたりしたものだった。 私はそれがとても羨ましかった。。。 本当は心のどこか隅のほうで私は全てを理解していたんじゃないか、と今になって思う。優しく微笑んで迎え入れてくれる友達のお母さんを‘幸せな家族’の象徴として私は見ていたんじゃないのかな、と思う。無言でけんかする両親や、むくんだ顔をしながら会社へ行く母の姿を見るのが嫌だった。そして、‘いつか、私の母も、私の友達が来たら微笑んでおやつをだしてくれるようになる。’という願いと‘幸せな家族’を持ちたい、という想いが私に‘家にいるお母さんになりたい’と答えさせたんだと思う。そして、その願いもかなわず、私の両親は天国へと旅立ってしまった。。。 彼が言葉を続けた。‘そろそろ、俺もお前に家にいてほしいな、と思えるようになったんだ。今まで、俺を支えてきてくれてありがとう。だけど、今は家に帰るとお前がいてくれるほうが仕事をして収入を多くするよりもうれしく思えるようになったんだよ。お前さえ、そうしたければ、専業主婦になっても俺達はもう、大丈夫だよ。’ 父さん、母さん、子供の頃、言うことを聞かずに馬鹿ばかりやってきました。でもね、もう安心してくださいね。子供の時描き続けた‘幸福な家庭’を彼と共に築いてきたみたいです。知り合った頃19歳だった彼は今こんなに精神面でも経済面でも安定した、一人の立派な成人になり、私を大切にしてくれてます。 私は今、あと一ヶ月後に迫る専業主婦生活に夢を膨らませている。。。 こんなはずじゃ。。。 2004-02-03 専業主婦になって(わーい。)そろそろもう一ヶ月に経とうとする。 それなのに。。。 なんで思い描いてたのと、こんなにも違いがあるんだぁっ!!! もちろん、退屈、とか、仕事に戻りたいとか全然思っちゃいない。 問題は。。。 もっと別のところにあるぅぅぅ。。。 ‘夢にまで見た’専業主婦。 どういうことか、全然夢のようにならない。相変わらず片付かないキッチン、リビング、ベッドにバス。整理して、きれいに残しておこうと決めた、数々のアバランチの新聞記事もそのまま。クローゼットも開ければ中身がいつ飛び出してもおかしくない状態。ミシンがけして、作りたいクラフトすらも放ったらかし。毎日グルーミングと歯磨きと爪の検査をしようと思っていた子供たち。(ミドリや猫たちはきっと‘ほっ’としてるんだろうなぁ。)掃除機も、洗濯機も、なんでだか、追われるような形でしかできない。。。 もっと、こう、朝、すがすがしく起きて、ミドリの散歩へ行き、コーヒー豆を煎りながら朝食の用意をし、だんなをコーヒーの香りと共に起こし、朝ご飯をゆっくり食べた後、キッチンを片づけ、掃除機をさぁっとかけ、お天気のいい日にはブランケットを洗い、夕食の買い物へ行き、ミドリの散歩へまた行き、夕食を作り終え、だんなと団欒し、キッチンを片づけ、ほっとした頃にパソコンと向かい合い、更新を続け、HP仲間とも団欒し、一杯飲んで一日が終わる。。。 それが。。。朝は原因不明の鼻炎により、気分悪くくしゃみだらけの鼻づまりで起こされ、ムッとしながらミドリの散歩へ行くや大雪にまみれ、髪の毛を凍らして帰ってき、ますます不機嫌になりながらコーヒーを作ってだんなを起こすと ‘あと10分、寝かせて。’。。。。 ふくれっつらをしながら一人で食べる朝ご飯。 。。。。モクモクモクモク。。。。 食べ終えた後、キッチンの後片付けと掃除機をかけて、とか思って計画を立ててるとヌーッと起きてきただんながコーヒーをポトポトこぼしながら ‘おはよー。’ ここで一気になにもかもする気がなくなる。彼は目覚めるまでの間、ずーっとテレビを見ている。その間、さすがに掃除機もかけれないし、バスルームもできたらだんなが使った後を狙ってそうじしたい。 1、2時間過ぎてやっと、‘今日は地下のリモデルのためにホームセンターへ行って、あれをして、これをしよう。’と彼の素晴らしい計画が立つ。と言うことは‘また’私の計画は計画倒れ、ということか。 夕食もリモデルの間にするものだから、サンドイッチとか、早くてすぐ食べれるものばかりで団欒どころか‘よっこいしょ’と言う暇もない。で、HPのほうになるとコンピューターはつぶれるわ、モニターは死んじゃうわ、ファイルはなくすわ、で‘団欒’どころか‘断絶’状態。しかも、リモデルで疲れきってるから一杯飲んだ後なんかに更新するようなアイデアなんて浮かぶはずがない。。。 そうだ、地下のリモデルのせいなんだ。。。 片付かない、ホコリまみれのこの家は、朝起きの苦手なだんなのせいなんだ。。。そう思うとくやしくて、地下のリモデルなんて手伝わないもんっ、とこの間もプリプリ怒ってたら電話越しで友達が大笑いしながら、 ‘そんなこと言っても通用しないわよぉ。アービーや、他のアバランチの選手から、やれサインをもらった、とか、写真を撮った、とか、ゲームに行ってテレビに映ったとか、‘専業主婦’になったとたん、そっちのほうばっかり力入れてたじゃん。それを地下のリモデルやましてそんな‘放蕩主婦’をもつだんな様のせいにするなんて。’ 。。。。。汗。。。。。。。。 なぁんだ。 そうだったのか。。。。。。 明日からは地下のリモデルにもうちょっと手を貸そう。。。 ありがとう。 2004-02-12 ここ、2、3年、私は本当にうちのだんな様に甘やかされてヌクヌク生活をさせてもらっている。一月には仕事を辞めて専業主婦にまで昇進(?)してしまった。おいしいものを食べに連れていってもらったり、ドキドキワクワクする旅行にも連れていってもらっている。結婚して今年で12年、つきあってた頃も入れるとなんともう、14年も一緒にいる。既婚、未婚の友達両方から、‘なんでそんなにまだラブラブなの?’とよく聞かれる。そんな時、私もどう答えていいのかわからないけど、結婚当初、猛烈な反対を押し切った時、頼れるものはお互いしかいない、と実感したからかもしれない。 結婚当初はまだ若かったからバカなことをたくさんして、お金はいつもなく、赤貧だった。彼はまだ、20歳で、ウェイターになれず(ウェイターはお酒を運べるよう21歳以上から。)バスボーイだから、チップもそんなによくなかった。私も彼も残業を頼まれると断ることはなかった。その頃は私の英語なんてひどいものだったから、仕事を選べるだけの余裕はなく‘雇ってもらえた’だけでもありがたかった。 赤貧はそれからもずーっと長い間続いた。それでも一緒にいれたのは、やっぱり結婚した時に感じた、‘頼れるものは2人だけ。’だったからだと思う。私は赤貧の頃、彼を‘甲斐性無し’とか、責めたことがない。私の仕事が見付からなかった時、彼も‘早く、早く’とせかすことはなかった。もしかして、私達には危機感、というものがあまりなかったのかもしれない。けど、‘生活苦しいねぇ。’とこぼした後は必ず、‘ま、一緒にがんばろ’だった。他の人達から見てまぁ、なんとひどい生活を、と思われていたかもしれないけれど、それはそれなりに楽しく笑うことだってたくさんあった。遊園地に行きたくてもお金がなかったからいけない。でも、そんな時、彼がいつもユニークな発想をして、お金のいらない山や公園へ自転車で行ったりして楽しんだ。セカンドハンドのお店で25セント(25円くらい?)ですっごくかわいいピクニックバッグを見つけて大はしゃぎでピクニックに行ったことも覚えてる。 だんなはこの話をすると、嫌な顔をするのだが、私は笑い話としているものがある。と、いうのは、ある日、‘今日はどこかに食べに行こう’と彼が言ったことがあった。外食なんて、もう、何年もしてないから、私は大喜びでいそいそとお化粧もして、ヒールの靴まで履いていた。彼はドレスアップした私を見るなり、びっくりして、 ‘ファーストフードに行くんだよ。’ と答えて、2人で大笑いをしたというものだ。 けんかも何度もした。‘別れた方がいいのかな?’とお互い思ったこともあった。運がよかったのか、そう思う時2人のうちのどちらかが‘いやいや、まだまだ’と思っていたらしく別れることはなかった。あっちへ転がり、こっちへ転がり、ほんとにこれからどうなるんだろう、と何度も思った。 彼と彼のお兄ちゃんが経営するバーが本当に繁盛するようになってかれこれもう3年は経つだろうか。最近になってようやく、欲しいものも新品で買うことができるようになった。彼は口癖のように‘あの頃は辛かったね。’と言ってくれる。そして‘あの頃’の話をするたび、彼は‘一緒に’がんばったから、がんばれたんだ、とも言ってくれる。 ‘一緒’に。 結婚は一人でするんじゃない。だから、楽しい時は‘一緒’に。でも、たくさんの人が忘れていることがある。辛いこと、悲しいこと、くやしいことも、結婚したら‘一緒’に通っていかなくてはいけないことを。既婚している友達が愚痴話をする時、必ず相手の欠点を言う。愚痴話はいっこうに構わないけれど、(私もしょっちゅうするもの。)その時、ふと、思うことがある。自分を振り返ったことはありますか?、と。相手に欠点があって、目に付くなら自分にも同じくらい目に付く欠点があるということを。相手にきつい言葉をかける前に、優しい言葉を、いつ、かけたか、覚えてますか?と。 当たり前のこと、と毎日見過ごしてるところから本当の幸せを味わえるのでは?と思う。辛い中にも必ず笑えることがある、と信じているうちにどんな小さいことも喜べるようになると思う。そんな謙虚な言葉の一つは ‘ありがとう。’ ‘おそうじしてくれたの,ありがとう。’ ‘お仕事、お疲れ様。ありがとう。’ ‘元気でいてくれて、ありがとう。’ ‘一緒にいてくれて、ありがとう。’ ‘愛してるよ’と照れて言えない人もきっと言える言葉。そして、人生の伴侶にはいつでもすぐ、何度も言いたい言葉だと思う。。。 専業主婦一年生。 2004-04-23 私達には子どもがいない。かれこれ、付き合っていた頃を含めると約14年、一緒にいたことになるというのに、‘子ども’はどうしても‘欲しい’という気になれなかった。30歳をすぎたあたりから周りの人達の声がうるさくなりはじめた。‘他の子どもと自分の子どもは違うわよ、持ってみて初めてその違いがわかるものなの。’とか、‘日系ハーフの子どもはみんなかわいいのよ、作ってみなよ。’とか、‘いらない、なんて言って、作れない人達に申し訳ないじゃないの。’とか、‘老後の世話は誰がするの?’とか、よくよく考えたら本当に‘大きなお世話の自分勝手な意見’だったんだけど、そういうのが私達に集中した。それなりに、自分達の理由を述べたとしても相手は全然聞く耳持たずなのでそういう人達にはあいまいにごまかして違う話題を持ち出すようにしてきた。もちろん‘犬一匹と猫4匹、魚一匹が私達の子どもです。’なんて言おうものならすごい剣幕で‘子どもを動物‘なんか’と一緒にするな。’と怒られてしまう。実際、私達にとって、この動物達こそが愛しい我が子達なのだが。 それはさておき、私は念願の専業主婦なるものに今年の一月から‘昇格’した。今でもこの選択は間違っていなかった、と思うし、そうさせて下さるだんなにも頭を下げながら、毎日家事をするのも、ミドリと散歩にいくのも、リモデルに精を出すのも楽しんでやっていると思う。そうなると、今度は‘子どももいないくせに’専業主婦 だなんて何をするというの、とか‘子どもがいないから、自分の時間でいっぱいなんでしょうね。’とか、‘それだけの時間があればおうちのほうもさぞ、片付いているんでしょうこと。’とかっていう、嫌みともとれる言葉をちらほら受け使うようになってきた。どうして、そんな恨み言を言われないといけないのか、悩んでしまう。私は自分達で長い、長い間話し合って、‘子どもはいらない’と出した結論だったし、子どもを持っている人達は自分達が‘欲しい’と思って出した結論だったのだから、恨み言をいうのはちょっと筋違いじゃないのかな、とだんなにこぼした。 だんなはそうボヤく私の話を笑いながら聞いていた。そして、‘自分の幸せを見失ってしまった人達の言うことだよ、気にするな。’と励ましてくれた。‘欲しい、欲しいと何でも手に入れてしまうと案外‘どうしてそれが欲しいのか’ということを忘れちゃうんだと思うよ。’とも言った。‘それにしても。だんなはニヤニヤしたまま付け加えた。‘確かに丸一日、なにやってんだ?’ 私は言い返そうとしたのだが、ちょっと考え直してみた。確かに仕事していた時よりも忙しくしているように思える。自分の時間っていうのもなんだか、細切れにあるようでじっくり座って、とか、とてもできるような状態ではない。 ふむ。 そこで私はだんなに胸を張って答えた。 ‘だって、専業主婦一年生だもの。ベテランの方達のようにテキパキ要領よくできるわけないじゃないの。どんな仕事だって、慣れるまでに少しは時間いるでしょう?’ するとだんなは ‘そうこなくっちゃ。これからは嫌み言う人達にそう言えばいいんだよ。’と微笑んだ。 私はだんなのいつもながらの‘視点を変える’考え方に脱帽させられた。ところがそのままの良きだんなでいてくれればオノロケ話ですむはずだったのに意地悪な一面がでてきて、‘でも、お前の話は本当に信用してもいいべきものかな?最近大きなスクリーンテレビを買ったからそれで毎日アバランチに釘付けになってんじゃないか?’と皮肉った。私は‘冗談じゃないわよ。そんなはず、あるわけないじゃん。’とちょびっと後ろめたさを感じながらも全否定しておいた。 だんなの言う、欲しい、欲しいと思う心はいつしか‘どうして’それが欲しかったのか忘れてしまうという言葉には重みがあった。専業主婦一年生、胸に教訓を秘め、明日もがんばってだんなに‘おいしい’と言ってもらえるようなお弁当を作ろう。仕事から帰ってきて‘やっぱりホッとするよ。’と言ってもらえるようにお家を片付けよう。そして、愛する子達がいっぱいご飯を食べれて、ぬくぬくのベッドがあって、いっぱい遊べる時間もあって、のびのびと暮らせるようなお家にしてあげよう。要領が悪いから、モタモタしながら、失敗もしながら、いつか‘立派な’専業主婦に‘昇格’できるように。そして、そんな職業が成り立つ素敵な家族といつまでも一緒にいられるように。。。 |